2011/04 NASA日記

とりあえず4月のNASA→ワシントンD.C.に関しての記録。五月雨式になってしまっているのはEvernoteに入れたものをこちらに転記しているからである。

まずは初日

4月26日。昨年、山崎直子さんが搭乗したスペースシャトルSTS-131を見に行ってからもう一年生経過したのかと、時の流れの早さには本当に驚く。今回見に行くのはSTS-134。初めての偶数番号のスペースシャトルだ。あまり関係ないけど。次のスペースシャトルで終了になるので、今回はラストワンになる。

四月も末のフライトのため、GWってこともあり航空運賃も高いかな?と思ったが、全部で10万円程度で済んだ。マイレージは残っていないので、今回もエコノミーである。ただ、前回はアメリカンだったが今回は国際線パートは日航なのでちょっと楽かも。
などと思いつつ、成田に来てラウンジへ行き、免税店を冷やかすといういつものコースなわけだが、今回はタバコを購入しなかった。そりゃ、禁煙してるんだから当たり前だ。しかし、国内ではタバコを入手するのが至難の技になっているのに、成田の免税店ではふつうに販売している。何カートンでも買えるだろう。なんだかなあ、と思いつつタバコを本当に必要としてないんだなあ、とふしぎな思いで後にした。

そう言えば、四月から飛行機もちょっとオペレーションが変わった。というか今さらだったのだが、日航でも飛行機のドアが閉まるまでは携帯電話で話していても大丈夫になった。四年ほど昔にチャイナエアに乗った時は電話していられたので、日航が遅かっただけだ。ボーディングブリッジで通話しなくて良くなったのは素直にありがたい。

機材はB7の300。ファーストから、エグゼクティブ、プレミアムエコノミー、エコノミーのフルパターン機材。エコノミーの一番前、ジャンプシート前の席になった。肘掛けにテーブルが入ってるので、若干狭い。しかし、日航のエコノミーって久々なんだけど、メシがアメリカンよりまずい気がする。ラウンジで食べてたからほとんど手をつけなかったが、これだけ食べるのはイヤだなあ。普通にそばですかい食べた方がいいかも。

シカゴまでのフライトは11時間程度かかるので、寝て過ごしたり映画を見ていた。映画に宇宙戦艦ヤマトがあったのでつい見てしまったが、主演がキムタクじゃなかったら、もっといい映画かもしれないと思った。どんな映画でもドラマでも演技が変わらないのは、ある意味すごいんだろうw。全員が暑苦しい演技なのでちょっと胸焼け。キャスティングはなかなかだと思うけど。個人的には知己だから、ということもありエリカ様の森雪を見て見たかった。だんだん旅行記でなくなって来たので本題にもどろう。

シカゴに到着してからは乗り換えまで二時間弱しかないため、バタバタしてしまう。アメリカのイミグレーションはひたすら待つしかない。今回初めてイミグレーションで、持ち込み機材はカルネを持って来たか?と聞かれた。カメラやレンズの金額はそりゃ一万ドル超えているが、こんなこと言われるとは思ってなかった。次からカルネ作るよ、とかなんとかで許してもらう。シカゴは、いつも通りどんよりしていて寒い。寒いとは言っても真冬ではないから9℃ほどあるので、ちょっと前の東京並みだから、耐えられない寒さでもない。

禁煙したおかげでタバコを吸う時間を確保しなくていいため、依然より割合スムーズに乗り換えられた気がする。オーランド行の便はいつもの様に満席。観光なのか、テーマパークか、はたまた自分と同じくシャトルのローンチを見に行くのかわからんが、みんな一様に楽しそうだ。オーランドまでの便は2時間弱。あっという間でもないがこのくらいなら耐えられる時間だ。到着前にオーランドにある原発が見える。個人的にはアメリカの原発のカタチはスリーマイルのイメージがあるのか、とっても怖いwいつも水蒸気出しているしね。

オーランドに着いて、ターミナル移動のシャトルに乗ると光の色が違う。夏の色。フロリダに来たんだなぁ、と思う。今回はレンタカーを自己手配しているので、ダラーでダッジチャージャーを借りる。日本でも乗りたいクルマだよなあ。時間があるのでアウトレットなどにいって時間をつぶす。スタッフとの連携がうまくなく、今日はオレひとりだ。まぁ、一人旅は好きなので気にしない。

初日に文章量が多いのは飛行機に乗っていてやることがないからだ、と後で読み返して気づく。後は時差の関係上長い一日だからかな。

二日目

てっきりスタッフが今日入るかと思っていたら、今日の夜中遅い時刻になるという。というわけで今日も自分ひとり。NASAのバッジングオフィスに行って、パスをもらう。これをもらわないと始まらない。しかし、一人で来るのは初めてだった。いつもアテンドがいたことに気づき、ちょっと恐れおののく。いつもこうしてたっけ?と不安になる。如何に他人と行動していると自分の意思じゃない部分が多く、記憶が欠損しているかを思い知らされる。一人旅なら全部自分で解決していくからね。

前回指紋をとっているので、今回はナシ。スムーズにメディアパスをくれた。その後ミッションパスをもらいにいき、とりあえずNASAのメディアサイトに行ってみる。メディアサイトに行くと、かなりメディアが多い。いや、それより火事?フロリダはこういったBrush Fireと呼ばれる野焼きしたような火事が多いのは理解できたが、こう頻繁にあると大変だなぁ、と思う。放置すれば恐ろしいほどの広さが焼けてしまうし、何よりシャトルの打ち上げに影響出たらイヤだ。

特にNASAではすることもないので、いつものパンダエクスプレスに行って、飯を食べる。店員の女子がオレのことを覚えていて「あなたのこと忘れてないわよ」とにっこりほほえんでくれる。もっとかわいきゃいいのにwと思ってしまうのはオレがイヤなやつだからだ。

食べ終わったあと、クルマでビーチを走れるというデイトナビーチ…の手前のビーチまで行く。日没が近くてあまり時間をかけたくなかったからだ。初めてビーチを延々と車で走るのは楽しい。今度またゆっくり来たいものだと思った。ちょっとスタックしそうでスリルもあるしね。そんなことしながらホテルに戻っておとなしく寝る。二日をムダに過ごしてしまった。あー、もったいねぇ…。

三日目

今日は準備の日。朝から全員でNASAに行き、準備をする。現場に着くとすでにいつも使っている場所はTwitter addictsどものTweetup Tentで埋まっている。こいつらがいていいことあった試しがないw

自分がシコシコとケーブリングするなどは性に合わないので、一度ホテルに帰り夕方からのRSSを待つ。ま、偉いさんをホテルに送っていっただけなのだが。さて、夕方になりRSSに行くのだが、相変わらず時間はいい加減。18時集合したが雨がくるから少しマテ、ということで待っていたら、本当に大雨になる。というか嵐。フロリダで何度かこういったスコールには出会ったが、今回のは通常の三倍くらい降っている。しかも雷もすごい。RSSの時間はどんどん延期されていくのであきらめることにする。夜中のRSSも悪くはないのだが、なんせ眠いw 結局午前2時くらいにやったらしい。

四日目

4月29日。いよいよローンチの日。

まあ、中止になったわけだけど。しかも延期の時間がいきなり48時間→72時間になったので自分のチケットでは帰らなければならない日を自動的にオーバーしているわけだ。

APUというシャトルの補助動力ユニットの故障。そのままでも飛べないわけじゃないが、着陸時に問題があると言うことでの延期。というか出発二時間前になるまで中止しなかったのが不思議。もっと前にわかってたんじゃないの?という不信感がある。

飛ばないなら仕方ない。ホテルに戻って何もせず過ごす。天候が悪いことを予想していて、それによる延期を一番気にしていたのに、本当にクリアに晴れる。雲もなく。ロケットロード、きれいに見えたろうな。

五日目

今日はCOCOA BEACHに行く。アメリカのスタッフが取材するので、それに付き合う。ホテルにいても仕方ないし、ビーチは楽しいしね。途中、一人で離れてNASAに行った。誰もメディアはいない。悲しい気分。

六日目

5月1日。本来ならば帰る日。だが、30日夜のミーティングで延長を決意する。$900ほどコストはかかるが、ここまで来て帰る方がもったいねぇわけだ。

しかし、昼頃その選択が失敗に終わった。ローンチは8日以降に延長された。みんなも帰ることになりNASAまで行って片付け。夜はDixie Crossroadsに行ってエビを食う。ここは宇宙兄弟にも出てくる店だ。いわゆる聖地巡礼的なことは一切しないけど、一度ここへ行ってから宇宙兄弟を見て、あー行った行った、と思った。というかTitusvilleにはロクな店がないせいだと思う。やたらめったらいろいろなレストランでNASA関係者とかJAXA関係者に会うのだから。

そして夜にオサマ・ビン・ラディンが誅殺されたことを知る。アメリカ人でない自分にはピンとこないが、戦争相手のボスが死んだことを想定すればアメリカ人が騒ぐ気持ちはわかる。第二次世界大戦で言えば日本ならば山本五十六や東條英機を殺したようなもんだろう。さて、これが恐ろしい行動につながっていく。

七日目

5月2日。

オーランドからワシントンDCまで、約850マイル。だいたい1350キロメートル。まったく数字では感覚がわからないが、これは東京から福岡を過ぎて、まだ200キロほど走らなくてはならない距離だ。こんなことを書いた理由は、この距離を実際に走ってみたからだ。クルマでノンストップ。バカなことをしたもんだ。

1人で運転し続けるのは無理があった。なぜならば夜中にいきなり出発することになったからで、寝てない男が四人いたから、とりあえず交代で行こうかと決めた。また、現地に着いてからすぐ仕事をしなければならないので、運転手以外は寝るように心がけた。自分が運転していないところは、ほぼ寝ていた。たまに起きて外を見たり、地図を見て、どこにいるか確認する程度。ノースカロライナもサウスカロライナも、まったく区別のつかないところだし、二度と行かないようなタコベルでタコスを買った。最後の運転手は自分だったが、DCに入ってペンタゴンや、各種の案内板を見たときには「をー映画で見たぞコレ!」とか「テレビドラマで見たわー!」とかテンションが上がった。

そして、ホワイトハウスを肉眼で見たときには、これがアメリカで一番権力を持った、つまり世界で一番権力を持った人の住処なのかと思った。仕事はこのホワイトハウス前から中継で、自分がカメラマン。無事四時間の仕事を終えた後は全員ボロボロ。メシ食った後はホテルへ移動して寝るだけだった。もっとも酒飲まない自分が最後のドライバーになったので、そうそうリラックスできるわけではなかったのだが。

本当は海兵隊の銅像とか見たかったが、そんな気力はない。かなり疲れていた。

ちなみに、メシ食ったところは相当うまかった。適当に入った店だったんだがかなり有名な店だったようだw$60のステーキを食べた。値段は高いけど、オススメである。→P.J.Clerke’s アメリカではステーキで有名な店にMorton’sというのもあるが、個人的にはこちらがオススメである。

八日目

5月3日。チケットの関係上オーランドへ戻る日。朝10時にホテルを出発して、ダレス空港に。15時にオーランドに着き、そのままレンタカーや荷物を預けてあったTitusvilleのホテルに戻る。移動のみの一日。今日からは、またひとりぼっちだ。昨日までのバカ騒ぎを思うとちょっとだけ寂しい気分になる。

九日目

5月4日。長引いた、いや、長くしてしまったアメリカ滞在も今日が最後。一番憂鬱な日でもある。何よりも面倒だし、飛行時間は長い。アメリカの空港のセキュリティも、屈辱感を持たせる検査だと思ってる。だからと言ってアメリカでフラフラと遊んでいられる立場でもなく、帰らないといけないのは言うまでもない。Titusvilleからオーランドの空港まで、約一時間の道程を走る。二月よりも暗いのはサマータイムのためだろう。空港に着きレンタカーを返却。今回はダラーだったのでいつものアラモとは勝手が違う。ターミナルがイヤに遠く感じられた。

チェックインはいつもの自動チェックインで行うのだが、チェックインすると、$90でファーストクラスになるよ、と言うので7000円くらいならいいかな、とファーストクラスへ変更。たった二時間半にもったいない気もするが、自分へのごほうび(笑)としてよしとする。バゲージダウンするときに重さがオーバーしてないか気になったが、20ポンド程度だったので見逃してくれたようだ。クラスのせいかもしれないけど、とにかくアホなオーバーエクセスを払わず済んだ。

オーランドのセキュリティは、これまた時間がかかる。観光客が多いせいもあるが、だいたいセキュリティだけで15分は見ておいたほうがよい。昔のアメリカの空港はこんなに面倒じゃなくて、セキュリティ何ぞ五分かかった記憶はない。文句言っても仕方ないし、何よりも警戒レベルが上がってるので、ガマンである。

セキュリティを通過した後は、飛行機に乗るだけ。三十分も前に乗ったが、ファーストなので、ゆったりだしオレンジジュースなどをくれるので、くつろげる。ほんとに飛行機のクラスほど、あからさまな待遇の違いはないなあ。飛んでしまえば、後はJFKに着くのを待つだけだ。適当にうとうとしながら出されたコーンフレークを食べると、あっという間であった。

JFKは初めて訪問する空港である。東海岸に来ることは今まで皆無だったのだ。それにフロリダはしょっちゅう来ていたが、帰りの飛行機はたいていオヘア空港であった。ダラスも滅多にないくらいだったのだ。とにかくJFKに着いて最初に思ったことは、寒いと言うこと。昨日いたワシントンDCと、それほど距離は変わらないのに寒い。どんよりしてる。ターミナル内はまだしも、外に出たらかなりの寒さであった。さらに、驚くことはアメリカンエアのターミナルから、エアトレインの駅までかなり歩くこと。15分見ておいたほうがよい。この点はダラスフォートワースやシカゴ オヘア空港の方がはるかによい。

JFKでは席を変えてもらう為にカウンターに行き、通路側の席にしてもらう。行きもそうだったが、エコノミーの一番前だ。足元が広いので、この部分はビジネス並みだ。他は比べてはいけないが。ラウンジで何をするでもなく時間を潰した後、飛行機に乗る。優先搭乗なのはありがたいが、しょせんエコノミー。出発でかなり待たされた後、やっとフライトした。

しばらくしてうとうとしていたら、隣のアメリカ人がずっとデカイ声ではなしをしているので、ガマンできずに文句を言ってしまった。本来ならスチュワーデスに頼むべきなんだが、来ないから仕方ない。また、おしゃべりも5分や10分ならガマンする。しかし、20分以上エキサイトしたトークをやられたら無理だ。最初は「もっと静かに話してくれ」と言ったのだが、オレの英語のせいかもしれんが何か納得いかなかったようなので、「とってもうるさい、静かにしろ」とかなり口調を強くして言ってしまった。ガマンするのが日本人の美徳かもしれないが、今回はガマンしなかった。

帰りの飛行機の中で、ガリバー旅行記を見た。最初に思ったことは(まだ終わらないのかなあ)と言うことだった。題材もいいし、冴えない男が主人公なのはいい。一言で言えばストーリーがまったく予想通りに進行し、しかもその予想が悪い方に当たるのだ。途中で織り交ぜられているパロディは許せるし、それはニヤニヤできるのだが、肝心のメインの話が本当にひどい。小人の国を中心にして進むのだが、小人がバカすぎるというか、妖精過ぎてまったくリアリティがない。中世的な世界観は妥当だが、そこまでアホな世界に描かなくてもいいんじゃないか?と思える。

ま、どうしてもヒマなときにDVD借りて見るのが関の山な映画である。もったいないなあ。

成田に到着して、行きに壊れたレンズケースをJALに見せてから帰る。考えてみれば、駐車場に延長の連絡していなかった。寒いなあ、と思いつつ家路を急ぐ。

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